伝統行事等詳細

かくのだてまつりのやまぎょうじ
角館祭りのやま行事

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行事内容

角館祭りのやま行事は、国指定重要無形民俗文化財(平成3年3月21日指定)です。これは角館の鎮守(その土地を守る神仏のこと)である神明社と、産土(自分たちのふるさとの神仏のこと)である成就院薬師堂の祭りで、毎年9月7日~9月9日にかけて行われます。7日は神明社の宵祭り、8日は神明社の本祭りと薬師堂の宵祭り、9日は薬師堂の本祭りです。

角館は、佐竹北家の城下町として発展し、この祭りは、町人の住む外町(とまち)を中心に行われてきました。(武士の居住する地域を内町といいます。) 氏子の組織単位は丁内で、祭りには丁内ごとに張番と呼ぶ「お旅所」を設け、神社の御輿の渡御を迎えるほか、曳山の統制も行います。この祭りの始まりは定かではありませんが、「佐竹北家日記」では、元禄7年(1694 年)に鹿島祭りとして初めて確認できるとのことです。

お祭りの山には曳山(ひきやま)と置山(おきやま)があり、置山は、神明社鳥居前と薬師堂前及び立町の十字路等に置かれています。曳山は毎年組み立てられ、かつての丁内を運行します。神明社や薬師堂への参拝や佐竹北家の殿様へ上覧に向かうときの運行を「上り山(のぼりやま)」といい、その帰りを 「下り山(くだりやま)」といいます。

曳山は、丁内に電線が張り巡らされる明治期以前は、現在の置山のように10mほどの大きさで担ぎ山でした。曳山になったのは、大正2年(1913年)からだといわれています。担ぎ山の名残として、現在でも曳山にある前後左右の最も太い木は「担木(たんぎ)」と呼ばれています。曳山は、主にナラ等の木材で組まれ、ボルトで留められています。昔は縄で組まれていたのだそうですが、現在は金具で留められています。曳山の造りは、前担木・横担木・後担木・欄干・人形・もっこ・車・引き手用ロープなどから構成されています。

曳山の見所の1つには人形があります。人形は、山の前方に一体から三体程度乗せられます。後方には2~5個の酒樽か人形が乗せられます。前人形は「水屋(みんじゃ)」と呼ばれる少し斜めになった部分に配置されます。ここに配置される武者人形は、歌舞伎の場面や歴史上の人物を用いることから人気を集めています。後ろ人形は、特に「送り人形」または「送りっこ」等と呼ばれ滑稽な出で立ちをしたものが多いようです。この前後の人形の間、曳山の中央には「もっこ」と呼ばれる山が黒い布で表現されています。 この祭りの「やま」の背景には自然崇拝と薬師信仰の習合があり、角館地方では古くから、薬師如来が農耕の神である「山の神」から「田の神」に姿をかえて豊作をもたらしたあと12月8日に山に帰るという信仰がありました。そこで、神の依代として4~5丈(15mくらい)の骨組みの頂には目籠を用い、黒木綿をかけ松を配し山に見立てる造りとなっています。
この山の内側では、お囃子の人達が篠笛・大太鼓・小太鼓・鼓・摺鉦・三味線等で囃し立てます。一番手前、欄干で囲まれた舞台は、踊り手が手踊りを披露する場所になっています。この囃子のことを「飾山囃子(おやまばやし)」 といいます。この囃子は、昭和48年(1973年)、11月5日付けで、国選択記録等の措置を講ずべき無形の文化財として指定されました。 曳山運行中は、囃子が途絶えることはなく、もしも途絶えると、曳き山は「死曳山(しにやま)」 と見なされ、曳山としての機能を失うことになります。囃子は、曳山にとって極めて重要な役割を持ち、囃子が奏でられない限り曳山を運行することはできません。
目的地に向かって運行する曳山を「上り山」と言いますが、このときの囃子を「上り囃子」といいます。それに対して、その帰りの曳山を「下り山」といい「道中囃子」などを演奏します。踊り子は、囃子に合わせて舞台で手踊りを披露することで、祭りに艶やかさを添えています。飾山囃子(おやまばやし)は、江戸時代中期に小沼(現在の大仙市豊岡)のオンチ太夫が持ち込んだ囃子を基に、幕末期、角館武士の能楽の愛好者と、町人の間で流行していた長唄の愛好者が、現在の囃子の原型を作ったとされています。この囃子は、江戸囃子の流れをくみ、手踊りが加わって囃子組として組織されています。囃子組は、角館を中心とする農村地域で、師匠を中心に芸を引き継ぐ形で伝承され、特に神代・西木町・中川地区に多く、角館の中心部にはありません。曲は、曳山の進行、神社への奉納、民謡を編曲したものの3つからなる風流系です。曲目としては、曳山の運行のものとして「上り山・道中囃子(下り山)・下り藤」、奉納のものとしては「拳囃子・二本竹」、民謡からのものに「秋田甚句・秋田おばこ・秋田音頭・おいとこ・お山コ・かまやせ」などがあります。

この祭り行事の大きな特色は、「交渉」と呼ばれる話し合いが大きな役割を担っているところにあります。丁内を運行中曳山と曳山が向かい合うと、交渉員と呼ばれる黄色の襷をかけた2名の若者によって「交渉」と呼ばれる話し合いが行われます。原則として上り山に通行の優先権があるのですが、それぞれの曳山の現状確認や道の優先権を主張し合います。この場合、交渉員は「責任者」と呼ばれる曳山を統括している最高責任者と、連絡を取り合いながら交渉を進めます。交渉員は、このような場面以外に、曳山が丁内の家々に手踊りを披露する際にも、その家を訪ね曳山の意向を伝える役割を果たします。つまり、曳山の意向は、すべて交渉員を通して伝えられるということです。このように交渉を重ねても、折り合いの付かない場合が出てきます。そうなりますと交渉は決裂し「激突(やまぶっつけ)」に及ぶこともあります。その後の決着は、体勢の優劣ということではなく、やはり交渉により決着することになっているのだそうです。現在では、祭典中の8日に、観光用の「激突(やまぶっつけ)」が行われています。ただ、この祭りは「やまぶっつけ」をするところに本義があるのではありません。自らの丁内につつがなく無事戻ることを評価しているとのことです。

行事の見どころ

軽快な飾山囃子(おやまばやし)、秋田おばこ達の艶やかな手踊り、そして勇壮なやまぶっつけで名高い角館のお祭り。
現在置山は3基、8トン程の曳山は平成9年より18台となり祭りを賑わしています。曳山には歌舞伎の場面の人形が一から三体と、後ろに道化の送り人形が一体飾られます。曳山で演奏される「飾山囃子」は現在17曲ほどあり、囃子方と手踊りが祭りのもう一方の主役として花を添えています。この飾山囃子(おやまばやし)は民俗芸能として早くから注目されていました。
祭りを彩る「やまぶっつけ」は勇壮な曳山同士の激突です。神宿りした曳山が出会い、交渉が決裂した場合に展開され、9日は夜を徹して行われ、祭りは最高潮を迎えます。

周辺地図

例年の実施日
9月7日・8日・9日の三日間
令和6年度の実施日
令和6年9月7日・8日・9日
補足事項
開催場所
角館町内
交通アクセス
東京駅から東北・秋田新幹線を利用し約3時間15分、角館駅下車
お問い合わせ先
仙北市観光情報センター「角館駅前蔵」
0187542700
ホームページ
https://tazawako-kakunodate.com/