はちたじんじゃれいたいさい
蜂田神社例大祭
- 大阪府
- 10月



堺市中区及び西区にまたがって所在する八田荘地域は、古くは和泉国大鳥郡蜂田郷とよばれ、奈良時代の高僧行基の母の出身氏族である蜂田連が居住していた地域である。平安時代には蜂田荘という荘園が設けられたが、この地の信仰の中心となっていたのが蜂田連の祖神・天児屋根命を祀る式内社蜂田神社である。蜂田神社は「鈴の宮」とも呼ばれ、蜂田連が毎年十二支の土鈴を作り神前に供え、鈴音の良し悪しで吉凶を占う「鈴占神事」をおこなったことに由来すると伝えられている。現在でも節分会には古式どおり境内の土で作った占い鈴で古式どおり鈴占神事がおこなわれている。
五穀豊穣と家内安全を祈願して行われた堺のだんじり祭りは、元禄元年(1688年)から行われていると言われている。八田荘地域では、明治時代(蜂田神社火災時に資料焼失のため詳細時期は不明)から始まったようですが、この八田荘地域の最大の伝統行事が10月の例大祭の際に行われるだんじり祭りであり、五穀豊穣・家内安全・疫病退散を祈願して、各町から8台のだんじりが宮入し、勇壮な祭りが催行されている。
各町だんじりに施されている彫刻(日本神話や源平合戦など)や勇壮な曳行、また、まがり角でのやりまわし(曳行スピードを落とさずに曲がる)が特に勇壮でそれがきれいに決まれば、参加者も見物人からも思わず拍手があふれ出す、勇壮豪華なお祭りです。