たかさごじんじゃしゅうきれいたいさい
高砂神社秋季例大祭
- 兵庫県
- 10月



天禄年間、疫病の流行で高砂のたくさんの人が尊い命が失われたことにより、圓融天皇の命のもと、社司の阿閇正敦が神さまのお告げをいただき、オオナムチノミコトの親神スサノオノミコトとクシナダヒメをお祀りし、疫病をおさめたとのことです。そこで天禄三年(九七三)九月十一日、人々は感謝のおまつりを催したことが由来となっており、明治時代に、新暦の十月に斎行されるようになったとのことです。
千年のまつり
毎年十月の十~十一日の二日間、高砂では町をあげてのおまつりが賑やかにまた勇壮に行なわれます。往時は、「大阪の天神祭か高砂神社の秋祭か」と言われたほど、全国的に有名なおまつりでした。このおまつりは、千年以上続く古式を今に伝える伝統の祭礼であるとともに、今を生きる人々が年ごとの報恩感謝をカのかぎりうたいあげる、躍動する生命力を持った「現在」に生きるおまつりで、高砂の町の秋を彩る人と神のハレの舞台であり、千年続く日本人の原風景です。
神幸祭
十日の神事祭は、高砂神社から大神さまが神輿でおでましになって各辻各町を巡り、守護と恵みをもたらすおまつりです。各町の氏子は、それぞれに趣向を凝らした屋台太鼓 車楽(だんじり)、引き物で行列をつくり、神輿の先導やお伴を勤めます。これらは「にぎわい物」といいます。また、神輿がおやすみになる御旅所では神輿くぐりが行われ、人々は大神さまに日々の幸福と息災を祈ります。神輿が船にお乗りになって加古川を下る船渡御は、往古の祭礼の姿を今に伝える神事です。昭和三十五年以降中断していましたが、往古の御鎮座縁起に由来した姿を再生させるとともに、海運の要所として栄えた高砂の伝統を永く後世に伝えようという意向のもと、昭和六十年に復活しました。現在は三年に一度船渡御を実施(その他は陸渡御を実施)、次回船渡御は令和七年十月に執り行います。
例大祭
十一日の午前十一時より、例祭が本殿にて厳粛に執り行われ、午後、各町がそれぞれに趣向をこらした屋台をくりだします。例大祭は各町の屋台がそれぞれに神々をお迎えし、町にご加護をいただくためのおまつりなのです。各町の屋台はまず高砂神社に宮入りし、清はらいの神事が斎行されます。その後宮出しが行なわれ、屋台同士がぶつかりあいひしめきあう「練り合わせ」へと続きます。終日、高砂の町々が競いあい協調しあう勇壮で賑々しい光景が繰り広げられます。